本日もご覧いただき、ありがとうございます。
5日めの朝です。
大正屋のベッドは快適でした。
ここはまた泊まりたいな。
朝は【平安の間】でいただきます。
いやあ、温泉宿の朝のお食事、って感じでいいですね。
お献立までついてますよ。
朝はあまり食べられない私が完食、今日も一日しっかり遊べそう😊
ブレちゃいましたが、この日のスタートODOは138,318km。
今日は高千穂まで250kmほどを走らないといけないけど、途中に寄りたいところがある。
寄ったのは大刀洗平和記念館。
驚いたことに、ここは筑前町立なんですね。
入口で案内役の初老の男性が一通り説明してくださいます。
これはとても良かった。
館内は3機の戦闘機、零式艦上戦闘機、九七式戦闘機、震電のみ撮影可能で、ほかは撮影禁止です。
ここ大刀洗は、大陸に近いという立地もあり、非常に大きな航空基地でしたが、太平洋戦争においては米軍の爆撃の目標になり、壊滅的な被害を受けました。
中にはいって最初に目を引いたのがこれ。
これはぜひ観ておきたかった。
実物ではなく模型ですが、映画【ゴジラ‐1.0】でゴジラに突入する重要な役どころを演じた戦闘機。
それがここ大刀洗平和記念館にあると聞いていたのでやってきたのでした。
実戦で活躍することはありませんでしたが、このような戦闘機を日本が開発していたのは驚きでした。
私がこの戦闘機の存在を初めて知ったのはわりに最近で、2005年頃だったか、息子と京都市内の某所にプラモデルの展示会に行ったとき、同時に開催されていた震電のプラモデルの展示会があってその時に知ったのでした。
従来知っていた大戦中のどの戦闘機とも違うこのスタイル、どこかで観たことがあると思ったのですが、すぐにそれが1987年に公開されたアニメーション映画【オネアミスの翼】の戦闘機【スチラドゥ】がそっくりだったことに気が付いたのでした。
実際に震電を参考にされたかどうかはわかりませんが、似ているなぁと😊
余談ですが、このオネアミスの翼はおそらくほとんどが手書きのアニメーション、初めて観たときは『アニメーションでこんな精緻な描写ができるのか!』と舌を巻いたのを今も覚えています。
4Kリマスター版の予告編がありましたので貼っておきます。
神木隆之介さんが座ったコックピットかな。
脚も忠実に再現されていますが、根本は固定式でした。
まあこのへんは仕方ないですが、それでもよくできたモデルです。
高いところから見下ろすと全体が見えました。
いかにも空力性能がよさそうなシェイプはしびれます。
詳しい方の中には安定性がどうとか、特に前脚が細く長いから不整地では着陸した途端に脚が折れるだろうとか、さまざまな評価がありますが、まあそんなことはどうでもいいやん、と思えちゃいます。
だって、まだ試験飛行の最中の機体(試作機)だったし、実戦にもまだ出ていなかったんだから、発展途上でしたからね。
もし開発がもう少し早く進んで完成の域に達していたら、きっと今の評価とは違う評価を受けていたに違いないと思えるのです。
マーシャル諸島で墜落していた機体を回収、修復した個体だそうです。
かなりひどく損傷していたのでしょう、板金の跡と思われるシワがありますが、よくぞここまで復元されたと思います。
あの階段を上ってみると...
コックピットを覗けます。
広島の大和ミュージアムに保存されていた零戦のほうが状態は良かった記憶がありますが、貴重な歴史遺産であることは間違いない。
ちなみに『零式』は制式採用された年が皇紀2600年に当たり、当時の日本の軍用機には採用年次の【皇紀】の下2桁を名称に冠する規定があったため、その下2桁の『零』から来ています。
奥の方にはさらに古い九七式戦闘機の展示も。
現存するただ一機の機体で、博多湾に不時着したものが1990年代の埋め立て時に発見され、回収・復元されたものです。
当時としては第一級の運動性能を誇っていたそうですが、脚を格納しない固定式だったため、空気抵抗が大きくスピードは出なかった、と説明を受けました。
この機体もかなり損傷していたであろうことが想像できます。
触ることはできませんが、どうも表面を樹脂で固めて補強しているかのように見えました。
いずれにしても、これも貴重な歴史遺産、中島飛行機の名機です。
ほかにも紹介したい記事や資料がたくさんあるのですが、残念ながら撮影は不可。
特攻隊員の、内地の家族、とりわけ両親あてに書いた手紙も残されており、どれも涙なしには見ることができないものばかり。
特に、『子犬を抱いた出撃前の特攻隊員』で有名な荒木幸雄伍長の写真は、周りの隊員の皆さんも含めて、これがこれから敵艦に突入する隊員の表情なのかと思うような、明るい表情なのが余計に涙を誘う。
齢 僅かに17歳です。
御本人が実際にどのようなご覚悟で飛ばれたのかは荒木伍長の手紙の文面通りに受け取っていいのかどうか、議論が分かれるところでしょうが、その写真に残された隊員たちの表情を見るにつけ、このような若い先人たちが身を挺して国を守ってくださり、それを私達が受け継いでいるのだということは忘れてはならぬという思いを強くします。
さあ高千穂を目指しましょう。
星野製茶園は奥さんが茶道教室のお茶会で時々お茶を注文する製茶園です。
中で休憩していると、これ、スムージーというのかなぁ、シャーベット状の飲み物になったお抹茶を試飲させてくださいました。
これ、甘くて美味しかった😊
ここで、奥さんはお休み明けに自分の茶道教室で使う抹茶を何種類か購入。
それにしても、こんな山の中でこんなきれいな事業所を営んでいらっしゃったとは驚き。
いつも注文したら何日も経ずに着荷していたので、きっとしっかりした仕事をなさっているんだろうね、と、普段数百キロ彼方から注文している奥さんは感慨深げでした。
星野製茶園の近くでお食事をした二人は高千穂に向かって進みます。
途中には九州のヘソと言っていいのか、火の国熊本の象徴である阿蘇山があります。
生憎の天気であまり眺望は良くなかったのですが、大観峰についた頃に下界が見渡せるくらいに晴れてくれたのがありがたかった。
ここは阿蘇外輪山の最高峰だそうで、阿蘇のカルデラなどを見渡すことができる。
広島勤務時代にここに来たときもやはり天気が悪く、ちょっと残念。
天気がよかったら、草千里とかやまなみハイウェイを走ってみたかったのですが、今回は涙をのんでパス。
きっとまた来るからね😊
高千穂に向けて走っていたら、あら、【マディソン郡の橋】に出てきたローズマン・ブリッジみたいな橋がある!
と思ったのですが、帰宅してから画像検索してみたらぜんぜん違う形だった😅
阿蘇望橋と言うそうですが、ローズマン・ブリッジよりずっとりっぱな橋。
木造のようです。
もともとは橋の耐久性を上げるために屋根を付けたようですが、本格的な屋根を持った車道に供される橋は全国でもここだけだそうです。
偶然でしたが、これはいいものを見ることができた。
このあと、高千穂の街に入っていきます。
まだ続くよ〜😅